3. DNA転写のメカニズム(2)
(4) DNAの自己複製 と 突然変異:
細胞分裂のときのDNAの自己複製は、2本から1本に分かれたそれぞれの片側のみの複製であり、「半保存的複製」である。 酵素のヘリカーゼが鎖を巻き戻し解きほぐし、ポリメラーゼが文字を読み取り、片側のみの鎖を新しく合成する。DNAがそれぞれ 1:1対応する塩基列の2本鎖でできているので、それがズボンのチャックのように10塩基ほど開き、2本鎖同時に自然的に複製が成されていく。
また、親からの遺伝は、ヒトの場合、染色体は、22対の常染色体と 1対の性染色体の 計46本であり、父と母から1本ずつ伝えられる。
交配によっては異なる種(しゅ)同士(たとえば、ヒトとサル、イヌとネコなど)では決して子孫を作ることができない。種は常に独立している。 ただし、種内では、いくつかの交配種が発生しうる。(ウシ科: 交配可能なのは、アノア、バイソン、ガウア、アジアスイギュウ、アフリカスイギュウ、ヤクなど。
イヌ科(ジャッカル、オオカミ、コヨーテなど)。 ウマとロバはラバを生むが、雄ラバには生殖能力が無く、雌ラバは実質ウマである。 ・・・ 交配の限界に近い”雑種”の子は、生殖能力が無く絶滅するか、あってもその子孫はどちらかの親の種に戻ってしまう)
「ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。」(創世記1:24、25)
・・・・・・ ”種”に従っての「特別創造」。すべての種は現在までも完全に独立している。進化論の”系統樹”は存在し得ない。
さて、DNA分子が自己複製する際、ある「確率」で、まれに間違いを生じる。(* 現在は、これを「突然変異」と呼ぶ)
塩基の 置換よりも、欠失、挿入(特に、塩基の繰り返し配列(CGCG・・・など)の個数を変化させる変異)が、より高い確率で起こりやすい。そのため、この繰り返し部分=”マイクロサテライト多型”と呼ばれる領域
で、”DNA指紋”として DNAの詳細な個体差を調べるのに用いられる。
この、DNA複製における突然変異が残っている箇所は、圧倒的にイントロン、すなわち、全DNAの95%以上を占める”がらくた遺伝子”の部分である。
なぜなら、遺伝情報をになうエクソンの部分に変異が起こると、その変異のほとんどは生存に不利な突然変異であり、その細胞が、受精卵の場合は その個体までもが、速やかに死滅するか、致命的な影響を受けてしまうからである。
したがって、”突然変異”と言っても、めったなことでは”種”には事実上ほとんど何の変化ももたらさないのである。
生存に有利でも不利でもない変異 = ”中立突然変異説”(木村・1968)はこのイントロンの部分で成立すると言うことができるが、現れた個体の形質は
実際には何も変わっておらず、いわゆる”進化”ではなく、なんとか”現状維持”している、と言った方が正しい。
* たとえば、”生きている化石”と言われる”シーラカンス(肺魚の一種で
エラと、肺の機能を持つ浮き袋の両方を持つ)”は、魚類と両生類との中間種と考えられた時期もあったが、半世紀前マダガスカル島沖で捕獲されたものを調査した結果、7000年前といわれる化石と何一つ”進化”や”変化”が認められなかった。また、インドネシアのコモドトカゲ(体長3−8m)も、その化石と何の変化も認められない。
** メキシコのアカンバロ博物館に展示されている多くの”恐竜土偶”は、”熱ルミネセンス法(TL法)”で約4500年前(誤差5〜10%)と出たが、これは「ノアの洪水」が起こった時期(B.C.2000年前後)とほぼ一致する。 これは、大洪水後、しばらくの期間は、恐竜が(かなり小さくなったが)生きていた、ということである。(その小さな恐竜に人間が乗っているものもある) これは、洪水後の環境の激変(気圧: 2〜3気圧 → 1気圧、空気の酸素濃度: 30% → 21%、気温の寒冷化、植生の変化、など)によって、血の巡りの悪い
恐竜は大きく成長できなかったためと思われる。 この場合には、”自然淘汰”ということができる。
約4000年前の「ノアの洪水」によって、非常に多くの生物が”自然淘汰”され、その残骸は化石となっている。(瞬間的に土砂に閉じ込められない限り決して化石とならない)
(5) ヒトDNAの追跡調査:
変異の経歴が残る イントロンの突然変異箇所を調べることによって、種がどのような経緯をたどって変化してきたかを知ることができる。
@ ミトコンドリアDNA:
細胞内小器官の一つである ミトコンドリア(細胞内呼吸をつかさどる小器官)にも、小さいながら独自のDNAがある。ミトコンドリアDNAは、塩基数 約16500個であり、母性遺伝する。(精子にもミトコンドリアDNAが存在するが、受精卵の中で破壊される) 核遺伝子の一般形質は、父と母から半分ずつ受け継がれるため、遺伝距離の相関図が分かるのみであるのに対し、ミトコンドリアDNAは母からのみ伝えられるので、男系を無視した女系だけの「系図」を作ることができ、この遺伝子全体の共通祖先は ある一人の女性のミトコンドリア(”ミトコンドリア・イブ”)にたどり着くことになる。
しかもこの系図は、DNAの変異確率が一定であるとすると、その分岐からの時間が推定できる。すなわち、どの時期にどのような人種が分岐したかを、他の考古学的データ(14C法など)と共に推定し、追跡することができる。(* ミトコンドリアDNAの方が、Y染色体DNAのイントロン部分よりも変異速度が速いので、たとえばアジア地域などの狭い領域の限られた時間内における変化を調べるのに用いられる。)
A Y染色体DNA:
核DNAは、約60億個の塩基(ミトコンドリアの40万倍)であるが、性染色体(男:
XY、女: XX)のうちの Y染色体のDNAは、単純に父から息子へのみ伝わるので、男系の遺伝子系図を作ることができ、ミトコンドリアDNAと同様に、分岐時期やどのように移動したかを推定することができる。 それぞれのグループの家系で”男系”が守られているならば、正確な追跡結果となる。
特に、”YAP”(ヤップ)と呼ばれる変異箇所は 分類上 D、E 系統のグループだけが有し、日本の縄文系と中東・アフリカ系だけに共通するものとして、その近縁性が注目されている。
それ以前(1960年代)に行なわれた、血液中のたんぱく質のアミノ酸配列によるアジア人種の近縁性調査結果では、アジア6集団(韓国人、モンゴル人、本土日本人、チベット人、アイヌ人、沖縄人)のDNA近縁性のみが確認され、南部中国人、東南アジア人種のグループ、また、北米原住民、エスキモー、南米原住民のグループとは、それぞれ距離を置いたものとなった。しかし、血液中のたんぱく質のアミノ酸配列は、核DNAのエクソン部分=変異が部分的にしか残らない部分によるので、不完全な結果である。(肌の色や、体型、顔かたちなどの若干の変化は、生存に有利でも不利でもない場合は、変異しても問題なく引き継がれるだろう)
そして、この20年間の研究により、ミトコンドリアや Y染色体のDNAの調査では、系図が作られ、分岐と移動の時期まで、ほぼ正確に推定することができるようになった。
現在のY染色体亜型の世界分布によると、日本人の約40%(縄文系、D2系統・ハム系)は、(見た目上の一般形質はほとんどアジア人ではあるが)実はなんと、中東・アフリカ人に近い(E系統・ハム系)。 D系統と E系統は 古い時期に分岐したものであり、男系が守られているならば、縄文人の祖先はかなり古い時期にアフリカ方面からやって来たことになる。
この調査されたDNA箇所は、変異の履歴が忠実に残るイントロンの部分であり、YAPという目印まで付いている。(確かに、文化的なものを除いても、日本人の精神構造は他のアジア人種とどこか違っている。 * 母性遺伝するミトコンドリアDNAによっても、日本人の中に中東・アフリカ系が約15%存在する。)
下の左上図(「DNAから見た日本人」、斎藤著、ちくま新書、2005、p60)の、”現代人が地上に拡散していった想像経路”中の数字は、移動時期の目安である。ここで、(証拠としては非常に弱い)”第1の出アフリカ”(15万〜10万年前とされる)時の絶滅したホモエレクトスやネアンデルタール人を例外と考えると(*)、「ノアの洪水」後の拡散は、”第2の出アフリカ”、正確には、(1回限りの)”出中東”であり、5万〜10万年前の時期からになる。
さらに、洪水前の大気中の 14C/12C の値が現在よりもはるかに小さかったことを考慮して修正すると、見かけ上の5〜6万年前 = 4000年前となり、「ノアの洪水」の時期に一致させることができる。 すなわち、ノアの箱舟から出てきた セム、ハム、ヤペテとそれぞれの妻による最初の中東定住、および、その後のバベル((シヌアルの地の)バベルの塔 → 世界へ拡散)という”出中東”の出来事は、ノアの洪水後まもなくである、という聖書の記述と一致する。(創世記10:8、9)
* 現在では、ネアンデルタール人の原始的な特徴は、栄養上の欠陥と病的状態によることが知られ、完全なヒトである。(by.ブリタニカ大百科事典、デュアン・T・ギッシュ、ジェフリー・グッドマン等)、 クロマニヨン人も完全なヒト。 一方、アウストラロピテクス、ジャワ原人、北京原人は、完全なサルであり、ヒトとサルの中間種というミッシングリンクは存在しない。